生と死の考察から始まった愛情の循環

母と久しぶりに箱根でランチをして、墓参りに行きました。

子どもの頃、大好きな人たちが死んでしまう恐怖におののいて、よく布団の中で泣いていました。そんなこともあって漠然と生と死を問い続けてきました。

死後はどうなるのかどんなに考えてもわからなかったし、死後の世界を語る方もいるけどその人の考えというだけで確証なんてどこにもありません。誰も知らないし見たこともない。生きている以上、少なくとも私は体験できないし、体験できるのは生きていることだけです。

そうは思っても、漠然としたといの答えは納得がいかないままでした。

でもある日、母が「死んだら終わり」と言ったのを聞いた時、妙に納得したんですよね。「死んだら終わり」必ず迎えるその時に後悔しないよう、今を精一杯生きるしかないんだなと。

じゃ、後悔するとしたらどんなことかなと突き詰めました。

まずは、もっと早くしていれば、あの時ああしていれば、などの行動だなと。でも、過ぎたことはどんなことをしても変えられません。それならばと、前進のための反省や内省の時以外、後悔のたらればは自分の中から消しました。いつだって、その時の自分にできる精一杯をしていて、それ以上もそれ以下もありえないからです。

でも、これから起きることなら変えられます。最後はどんな結果になろうとも、後悔のない決断を自分ですることですよね。自分で考え抜いて、人の意見に素直に耳を傾けて、その上で納得のいく行動しかしないようになりました。その結果、過去を振り返ることがほぼなくなり、哀れみや憂うという思考も思い出せないほどです。前を向いて今を生きる超ポジディブ楽観主義のお気楽人生です。ほんとに。

次に考えられる後悔は、あれを言えばよかった、あれは言わなければ良かった、などです。自分のことよりも、いなくなってしまった人にしてあげられなかったことや伝えなかったことは、本当に本当に悔やんでも悔やみきれません。

そんな後悔だけは二度としたくないので、後悔とはなんだろうと突き詰めました。結局のところ、してあげたかったことも伝えたかったことも、感謝や大切に思っている気持ち、つまり愛だけでした。

お寺にひっそりと咲いていた寒桜

目の前にいる人に、今それを伝えられるってとても幸せなことだと思います。愛情を込めてしてあげられることもです。

だから、私は愛情を込めて私にできる限りのことをするし、伝えたい気持ちはその場で伝えることにしています。たとえば、パートナーに毎朝手紙で気持ちを伝えたり、毎日おにぎりを作ったり、母に優しくしたり、塾生に大切な気持ちを伝えたり、そういう小さなことを一つずつです。後悔しないために。

その結果、私自身の幸福度や大切な人たちとの信頼関係はますます深まりました。周りにいる大切な人たちからも溢れ出すくらいたくさんの愛をもらっています。

誰もが迎える死というものは、たった一人の人とでも深い信頼関係を感じて、心が幸福を感じているならば、後悔がわき起こったとしても、それ以上に満たされた気持ちで迎えることができるのではないか。逝くものも、残るものも。そんな気がしています。

死んでみないとわからないけど。

元は生と死の考察から始まった愛情の循環、これからも広めていきたいです。

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